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北投温泉博物館の過去・現在・未来

北投温泉博物館の鍾兆佳館長とのインタビュー

テキスト / 郭慧
撮影 /剣持悠大、樹音
画像提供 / 北投溫泉博物館、小杉湯

1913年、北投公共浴場が完工し、当時の東アジアで最大の温泉公共浴場になったが、時が経つにつれ、この栄光ある公共浴場は時代に忘れられた「お化け屋敷」に変わった。幸いに、1995年、北投国小の先生が生徒たちを連れて校外教学を行ったとき、意外に「お化け屋敷」の歴史を発見した。北投公共浴場も人々に助けられ、現在の北投温泉博物館になった。長い歴史と地元の関心を持って、北投温泉博物館はどのように過去を振り返り、現在に立ち、地元と協力し、北投に属する未来を描くのだろうか?これらの質問に関して、おそらく北投温泉博物館の館長である鍾兆佳氏は最も適切な回答者だろう。

Q:1998年、北投温泉博物館は、台湾の地元住民によって救助されて設立された初めての博物館だった。地元の公共博物館として、北投温泉博物館は、この博物館が多い時代に、どのように過去の歴史を継承し、現代の道を歩んでいるのだろうか?

 A:北投温泉博物館は他の文化博物館とは別に、その前身が北投公共浴場なので、北投の「温泉郷」の歴史的な証だけでなく、自分自身が北投の温泉産業の発展に参加した。この地域的関係は、北投温泉博物館の特有のものだ。

 そのため、エリートが知識をまとめた後、「何を学ぶべきか」「何が経典的なのか」をみんなに伝える、他の文化博物館とは別に、私達は最初から「生態博物館」「壁のない博物館」と位置付け、地元の生活や産業の脈動に焦点を当て、地元の人々との共有を強調し、地元の人々と一緒に北投を描いている。実は、私たちが歴史を重視し、現在に目を向けるのは、地元の人々と一緒に未来を展望し、つまり北投の「未来」のために「歴史」を創造したい。私たちが本当に気にかけているのは、経典を繰り返すのでなく、過去から現在、未来への継続的な理念だ。

 私たちがこの考えを持っている理由として、北投温泉博物館はかつて非常に老朽化した場所で、コレクションもほとんどなかった。何といっても、入浴中に写真を撮る者が少ないので、北投公共浴場での写真は非常に散らばっている。しかし、私たちは成長過程が非常に難しいこそ、皆様と一緒に歴史を書く必要があるのだ。おそらく私たちの取り組みにより、100年後、将来の世代は私たちの現在直面している問題がなくなるかもしれない。また、私達は過去に多くの困難に直面し、困難な時期に多くの支援を受けたこそ、「共有」は常に私たちの中心的な精神だ。おもしろいのは、「共有」という理念が北投公共浴場の歴史を反映している。何といっても、公共浴場は年齢や国籍、言語を問わず、すべての入浴者が訪れられる場所だ。

北投はとてもおもしろい場所だ。多くの住民が「私は北投人だ」と言うが、その出身地は全く北投でないかもしれない。このような環境で、私達は常に「北投の歴史は何だか」「北投人のアイデンティティは何だか」を振り返っている。その結果、北投にアイデンティティーを持つ限り、あなたは北投人だということがわった。この包括的な理念は、公共浴場の包括性とも関連している。私にとって、北投温泉博物館は、最も規模が大きく、最も歴史が長く、そして最も資源が豊富な博物館にならないが、それは私たちの行くべき道でもない。地元の人々の心の中で最も特別な「唯一」のものになるのは、北投温泉博物館の進むべき方向だ。

(画像提供:北投溫泉博物館)

Q:北投温泉博物館はどのように伝承と革新のバランスを取るか?

A:私たちは過去・現在・未来を重視するが、「歴史」が一定の段階に達すると、間違いなく時代の挑戦に直面するので、「現在」やらなければいけないのは「革新」だ。この革新は、より長期的な「未来」を書く。北投温泉博物館にとって、歴史を伝承し、現在に焦点を当て、未来に目を向け、公共浴場を理念に様々な人々と良好な関係を築き、包括的・多元化に対応するのは私たちの使命だ。 

伝承と革新のバランスを取るには、これらの歴史的出来事が未来に役立つかどうか、また文化的な価格創造により地元の産業や文化をどのように改善するかを考えることが重要だと思っている。例えば、北投の観光産業は、シーズンとオフシーズンの違いが大き、人々が冬に温泉に入る時のみ北投を訪れる。これは、地域の発展に悪い。そのため、私たちは様々な活動によりこの現象を改善したい。しかし、北投は至る所に山道がある小さな町なので、集団的なバスツアーは北投の発展の方向性に適しないかもしれない。北投の全体的な利益を維持し、常に癒しの温泉郷として人間の気持ちに満ちた場所であり、環境に悪影響を与えることなく旅行者にユニックの体験を提供するか、すべて私たちが活動を開催するとき時に配慮しなければならない。

(画像提供:北投溫泉博物館)

Q:「公共浴場」も「博物館」も、いわゆる「公共性」がある。北投温泉博物館と地域社会にどのような協力や交流を期待しているか?

A:「公共浴場」の理念は非常に包括的だと思っている。過去、人々は公共浴場が「お風呂」だけだと想像していたが、実は、公共浴場での人々や建物、芸術はとても珍しく、その公共性もとても魅力的で、これは私たちが活動を計画するときに、繰り返して強調している部分でもある。

私の見方では、公共浴場は特に「空間」と「記憶」の2側面で公共性が明らかだ。「空間」の視点では、公共浴場として利用できなくなったとき、どのようにその空間を利用できるかを考えている。みんなの記憶を引き継ぎ、この場所をみんなの心に残し、また北投の公共浴場がみんなのものだと人々に知らせるために、どのように空間の核心精神を維持できるだろうか。このような考え方により、北投温泉博物館は、かつて大浴場に芸術品やウォーターカーテンを設置し、そして北投公共浴場の100年の歴史を呼応するために、台湾月琴民謡協会と協力して館内に100台の月琴を陳列した。

 「記憶」の視点では、最も取り扱いが難しい。何といっても、同じ場所でも、みんなの記憶が違う。そのため、私たちの仕事は、みんなの様々な思い出の中から共通の美しい想像を見つける。この過程では、コミュニケーションは非常に重要だ。例えば、数年前、若い人たちは北投が古い場所だと思っていたが、私たちは展示により「あなたが思っているとは違う」とみんなに伝えた。また、過去、若い人たちは月琴が古いだと思っていたが、台湾月琴民謡協会の取り組み及び北投温泉博物館の公演活動により、若者たちが同じ空間で国宝と知りあって、理解して、楽しんで頂ける。

おもしろいのは、過去、人々が「国際化」を強調していたが、今、「現地化があるほど、国際化がある」を強調している。実は、私たちは過去から現在まで、ずっと地域の公共性を重視すると同時に、革新の可能性を模索してきた。北投には革新に値する箇所がたくさんあり、かわいいものもたくさんある。これらをどのように繋ぎ・統合し、覚えやすい物語を整理することは重要だ。また、活動参加者のフィードバックにより、このテーマを推進するために一生懸命に努力している人々に力を与え、継続していくことを願っている。何といっても、誰も促進し続けないと、この場所は消えてしまう。生態博物館にとって最も重要なのは、絶対にそこに置いた物でなく、ここの物語を語り続ける人がいるのだ。

(画像提供:北投溫泉博物館)

 

 

 

 

 

(画像提供:北投溫泉博物館、「北投家紋」デザイナー:鄭培哲)

Q:北投は台湾で有名な温泉郷であり、多くの外国人観光客が台湾を訪れる時の観光名所でもある。国際交流の視点から、北投温泉博物館はどのような役割を果たすべきか?

A:北投温泉博物館は、かつて「捨てられた赤ちゃん」のようだったが、その後、みんなの世話で育ち、今、大人のように見える。これまで皆様のご協力を賜り、私たちはどのように地元に還元し、そして革新的な手法で北投を国際舞台に立たせるかについて考え続けており、これは、実際、今年の国際交流を促進するという私たちの当初の意図でもある。

実は、今回、日本の小杉湯と共同で「いらっしゃいませ 小杉湯の台湾北投へ」を開催することも新たな試みだ。過去、北投温泉博物館は、外国人観光客との接触や他の博物館との意見交換が多かったが、今回、浴場文化を中心とした国際的な文化交流は初めてであり、最も深く行った。それまで、地元に力を入れていたが、たくさん積んでいたものもあるので、今、自信を持って新たな挑戦ができるようになった。何といっても、北投温泉博物館は、かつての「お化け屋敷」から、今、地元の住民や台湾各地の人々が訪れる場所に大きく進化した。また、私たちはすでに長い道を歩み、独自の「モード」を確立したため、次に、私たちのモードを近隣の博物館と共有することができ、私たち自身もさらに前進しなければならない。

また、外国人が初めて台湾を知るとき、彼らは最も表面的な側面から私たちを知るに違いない。私たちの仕事は、その側面から始め、彼らを導く。何といっても、人々が型どおりだと考える多くのものは、実際に他人が私たちを知るドアだ。私たちの仕事は、彼らがドアを踏み込んだ後の道を敷設する。

(画像提供:小杉湯、撮影:剣持悠大、樹音)

Q:北投温泉博物館の今後の計画を教えてください。

A:次のステップは累積を続ける。何といっても、「公共浴場」「温泉郷」「癒し」「包括」はすべて非常に広い理念で、これらの理念の下でできることはたくさんあり、試験と累積を続ける必要がある。例えば、今回の日本の小杉湯との海外交流も、今後も試み続けることができる道だ。

(画像提供:北投溫泉博物館)

PLUS!/台湾と日本の浴場の交流により北投の未来に新たな可能性を創出する

2021年9月、高円寺の人気銭湯「小杉湯」で、「いらっしゃいませ 小杉湯の台湾北投へ」という台日展示会が始まった。これは新型コロナの下での珍しい国際交流だけでなく、「小杉湯」三代目監督の平松裕介様が初めて「北投にも浴場文化がある!」と知った。さらに、北投温泉博物館は初めて浴場文化を中心に、海を跨る対話を開いた。 

今回の協力の縁起について、北投温泉博物館の館長である鍾兆佳氏は次のように述べた。前者が公共文化博物館で、後者が私的な家族銭湯だが、両者はどちらもかつて公衆に向ける公共浴場であって、そして時代の挑戦に直面し、館内施設が衰退し銭湯文化が盛んでない新時代に生き残り、自分たちの価値を見出すために一生懸命努力しなければならないという共通点がある。

「パートナーを選択するとき、他の温泉郷と協力すれば非常に豊富な資源が得られることもわかっているが、小杉湯と協力したい理由は、両者も歴史的な課題に直面しているからだ。」と鍾兆佳氏は言った。「この過程で、私たちは小杉湯の物語から多くのことを学んだ。例えば、小杉湯がどのように独自の資源や場所を利用して様々な可能性を開拓したかなど。その精神は、北投に来た温泉業者を励ますと思っている。浴場が困っているとき、どのように各分野の地元の人々と協力して新たな可能性を生み出せるか?挑戦に直面する対応方法が異なり、他人の道をコピーすることができないが、成功例を見れば希望を感じるだろう」。

小杉湯の成功例により北投温泉業界に新たな考え方をもたらすことに加え、今回の台日展示会のもう1つの重要な側面は、より多くの日本人が台湾を知り、そして外国人の観点から自分自身を認識し、さらに自分の物語を語る方法を勉強できるようにする。例えば、「いらっしゃいませ 小杉湯の台湾北投へ」では、北投の絵葉書や湯の花、石鹸などを展示・販売した。日本の「温泉愛好者」はこれらの地元の小物により北投の物語を知ることができるようになった。「実は、湯の花は北投温泉が結晶化され、特殊な工程により加工された白い粉だ。これは温泉に使用でき、循環経済の産物でもある。北投の地元の業者はずっとこのような良い製品を作っているが、その物語を述べる仕方がわからないので、私たちは今回の展示会により、得意な方法で湯の花を北投温泉の大切なお土産にさせた。また、不動産業界に文化的な価値を創造させた。」と鍾兆佳氏は言った。

また、鍾兆佳氏の話では、交流に加え、今回の「いらっしゃいませ 小杉湯の台湾北投へ」という台日展示会により、私達は日本人の視点から他人がどのように自分自身を見ているかを理解することもできる。「何といっても、自分が自分を見ると、常に死角があるが、他人の目から見ると、当たり前の人や物の多くは他人の目での宝物だ。例えば、日本人は北投の野菜市場や日用品に深い関心を持っているかもしれない。」一方、他人の目を通して、私たちが当たり前だと思っていることが実際に新たな可能性を含んでいることを発見すると、それは文化の継続的な進化に新たな推進力を注ぎ、よりよく過去の歴史を基礎に現代の視点から北投の未来を創造する。

(画像提供:小杉湯、撮影:剣持悠大、樹音)

(画像提供:北投溫泉博物館)