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湯けむりの中で

日本在住の作家、張維中から見る台湾の温泉事情と日本の銭湯文化

テキスト / 張維中
画像提供 / 今井健太郎建築事務所、張維中

とある場所で、現代風にアレンジされたJAZZが緩やかに流れる。湯けむりの中で人々が談笑し、その残響と声のリズムは何故か幻想的に感じた。そこで僕の心は身体と共に徐々にリラックスしていき、気持ち良く湧き上がる眠気で視線も朦朧となってっきた。

おっと、誤解しないでくれ。僕は怪しいお店で怪しいことをしてる訳では無く、近所にあるちょっと一風変わった東京の「銭湯」に来ただけだ。

何年前か世代交代で若い人が経営し始めてから、もともとあった富士山の壁画を取りやめ壁を全体的に冷色のダークグレーにし、流す音楽もJAZZに変えた。今まで想像つかない、銭湯とJAZZのコラボレーションはここの湯けむりの中で完成形を見せてくれた。

銭湯でよく聴く「音」と言えばやはり水音だ。湯船に入った瞬間にほとばしる飛沫やシャワー用の蛇口から出る水がポタポタと床に落ちて、その響きはまるで記憶のオルゴールのように、時々昔台湾の温泉に行ったことを思い出させる。

台湾の温泉事情と日本の銭湯文化

出張などで日本人同僚や日本の友人と台湾に戻る時はよく北投へ行ってた。北投温泉郷に来ると日台の絆と親しさを感心する友人の側に、僕はいつも昔温泉に入ったことを思い出す。北投温泉博物館にある、今や完全に展示スペースとなった元大浴場を眺めながら湯気が上るのを想像してたら、人々の楽しそうな話し声やお湯の張った湯船に入る人影も頭に浮かび上がった。

僕にとっての「温泉入浴」は、そんな賑やかなイメージだった。大学時代と台湾で働いてた頃はよく北投温泉を通っていた。あの時はまだバイクしか持ってない僕はいつも友達と北投の行義路にある「川湯温泉」へ行ったり、夜中に「馬槽花芸村温泉」までバイクを走らせた。山奥の花芸村へ行く道の三分の一が常に深い霧に包まれていて、バイクで行くのはかなりしんどかった。今思うとあの頃の自分たちは少し無謀だったかもしれない。

僕のよく通った温泉浴場は年中繁盛していて、寒波が来る日だと更に賑やかになり、大勢の人と湯船に入る自分はまるでスープ餃子のようだ、と僕はいつも思う。あれから何年か経って日本人友達を川湯に連れて行ったら、みんなもその入浴光景に驚いた。日本では、「スーパー銭湯」以外の普通の銭湯や温泉にはそこまで人が入ってこないからだ。

台北の人にとって、寒い日に北投や陽明山の温泉地へ行くのはごく普通で、日本の銭湯へ行く感覚に近い。台湾人が思う「入浴」っていうのは「温泉に入ること」、しかし日本の銭湯はほとんど温泉ではなく普通のお湯を使っている。

中身だけでなく、銭湯へ行くのと温泉に入る「感覚」もだいぶ違う。銭湯、言わば街の大衆浴場のこと。その存在は観光のためではなく、お風呂に入りたい人々にサービスを提供する為だ。客は軽くお風呂に入って、少し浸かったら家に直帰する。一方、温泉に入ることは少しエンターテイメント性があり、台湾も日本と似た感覚で温泉を楽しむ人が多い。台湾には銭湯みたいな公衆浴場があんまり無いので、銭湯文化は僕たちにとっての代表的な日本社会の特徴とも言える。

昔は給湯器もなく、庶民の家に風呂場がないのが一般的だったので、入浴施設である銭湯はそれで普及し始めた。おうちに基本風呂場がある現代人は何故銭湯に行くかと言うと、広い湯船でのびのびとリラックスするのが好きだからだ。

銭湯はただの入浴施設から、みんなが交流できる憩いの場になった。家族や友達や同僚と一緒に銭湯へ行ったり、銭湯で近所の人と世間話したりして、どんな事でもリラックスした状態で気軽に交流できるのだ。現代銭湯の役割は、居酒屋みたいなコミュニケーションの場だと僕は思う。

銭湯は入浴施設だけでなく、交流の場でもある。
(画像提供:張維中)

銭湯は入浴施設だけでなく、交流の場でもある。 (画像提供:張維中)

銭湯は言わば大衆浴場、多くは住宅街にあり、日本の代表的な文化のひとつ。
(画像提供:張維中)

銭湯は言わば大衆浴場、多くは住宅街にあり、日本の代表的な文化のひとつ。 (画像提供:張維中)

デザイナーズ銭湯ブームの到来

銭湯ブームのピークであった昭和中期から時が過ぎ、近年ライフスタイルの変遷や経営者と建物自体の高齢化と共に消えていく銭湯は少なくなかった。銭湯離れの若者を銭湯に呼び込もうと、最近は「デザイナーズ銭湯」というトレンドが流行っている。僕の近所にあるJAZZが流れる「湊湯」もその一員で、昔ながらの少し暗かったけど古き良き銭湯が新しい世代にバトンを渡し、新たな姿に生まれ変わった。

彼らはプロの建築デザイナーに依頼して、動線やライトデザインの改造を行った。その人達は今までの「銭湯」のイメージを覆すようなデザインをしながらも、伝統のある絵タイル壁画などを保留した。

建築士の今井健太郎さんはデザイナーズ銭湯の先駆けで、東京のデザイナーズ銭湯は彼がデザインした「大平湯」から始まった。今井さんの作品では、僕が一番好きなのは中目黒にある「光明泉」だ。この辺りは環境も良く、目黒川沿いに散歩したり、お花見やカフェに寄ったりして、疲れたら銭湯に一風呂浴びて、小腹を近所の名店「AFURI」の柚子塩ラーメンで満たすと、これで完璧な一日になるでしょう。九十年の歴史を持つ「文化浴泉」もお勧め。ここは2011年今井さんの手により、渋谷のお洒落な銭湯に生まれ変わった。名銭湯絵師の中島盛夫さんが手掛けた絵タイル壁画は「文化浴泉」の見どころだ。

同じく今井さんが手掛けた中目黒の「光明泉」、風呂上がりに近くの名店「AFURI」で柚子ラーメンを食べるがお勧め。(画像提供:今井健太郎建築事務所)

同じく今井さんが手掛けた中目黒の「光明泉」、風呂上がりに近くの名店「AFURI」で柚子ラーメンを食べるがお勧め。(画像提供:今井健太郎建築事務所)

(画像提供:今井健太郎建築事務所)

(画像提供:今井健太郎建築事務所)

この先の銭湯文化

近年は若者を銭湯に呼ぶために施設の改造はもちろん、様々な催し物も始めた。お風呂がお休みの時にはイベントを開催し、新たな情報発信の場となった。

例えば、普段店内にJAZZが流れる京都の「梅湯」は改築後、休みの日に地元の人が参加するJAZZ演奏会を開催した。上野稲荷町の「日出湯」は「リバースプロジェクト」と、「はだかの学校」というプロジェクトを行うことになり、生徒を10名ほど募集し、毎月に一回15分の授業をするプロジェクトだ。毎回のテーマによって違う分野の先生が講義をして、もちろん教室は銭湯の中。先生も生徒も裸で浴場に入って(男女別々)、湯船に浸かりながら受講したり、雑談や交流したりする。

同じく上野にある「寿湯」はファッションブランドの「ビームズ」とコラボして、漫画家に暖簾と壁画をデザインしてもらい、さらに銭湯をテーマにしたイラストでTシャツやグッズを作って、銭湯とビームズの店頭で販売する。

台湾に銭湯は無いけど、独特な温泉文化がある。これからの新しい時代の温泉入浴に、新しい楽しみ方やイベントをどう増やせば良いのか。それはコロナが落ち着いたら日本に行って銭湯巡りをしてみて、湯けむりの中から答えが見えてくるかも知れない。

九十年の歴史を持つ「文化浴泉」。今井健太郎さんの手により渋谷のオシャレな銭湯に生まれ変わった。(画像提供:今井健太郎建築事務所)