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温泉郷の壁の無い博物館へ行こう

北投のデザイナー鄭培哲がご案内!

テキスト / 郭慧
口述 / 鄭培哲
撮影 / 蔡耀徵

歴史のある建物が数多く存在する北投は、単なる温泉郷だけでなく、壁の無い博物館とも呼ばれてます。建築イラストで有名な北投のデザイナー鄭培哲さんは、普段からイラストで北投の古い建物を記録してます。今回は北投温泉博物館とコラボして、温泉博物館や北投公園、吟松閣、不動明王石窟などのスポットを可愛らしいイメージイラストにする「北投シンボル」という企画で、観光客を引き寄せることを狙います。

「きっかけは地元の古い建物が取り壊すことなって、その姿を記録しておきたいと思い僕は建築イラストを始めた。それから縁があって北投温泉博物館と地元の代表的な建築について話し合ったり、より詳しく記録することが出来ました。」鄭さんがこう語った「日本統治時代で輝かしい歴史を残した北投には、日本風情の溢れる建物もあれば、いかにも台湾らしい建築もあって、僕にとってはとても興味深いです。」

それでは北投地元民の目線とデザイナーのビジョン、両方を持つ鄭培哲さんと一緒に北投の街を歩いてみましょう。

消えた北投駅

現代の北投に訪ねる旅人は旧北投駅を見れないけど、駅のあった場所はほぼみんな行ったことがある。それが今のMRT北投駅の所在地です。駅向かい側の花壇は昔、旧北投駅附属の噴水でした。「日本統治時代の建築家はよくヨーロッパの街並みを参考して、駅前に広場や噴水を設置したんです。旧北投駅を建てた時も、駅に降りた乗客に良い景色を見せたいと、ここで噴水を作りました。」

鄭さんは旧北投駅の図面を取り出してさらに説明を「当時淡水線の北投、双連、士林、関渡の各駅は似たような作りで、みんな黒瓦の木造駅舎です。新北投駅が出来るまでは、北投に来た人はこの黒瓦の駅舎を出て人力車に乗って温泉街へ向かうんです。」

北投駅前の古民家

MRT北投駅を出て、噴水だった花壇の方向に向かって少し歩いたら、ドラッグストアの「COSMED(コスメド)」が目に入ります。よく見てみると、看板の真上にある壁面は伝統技法の洗い出し仕上げ。「昔から主に台湾人が住むこの地域の建物に西洋っぽい装飾があるのはかなり面白いです。しかも全部洋風にした訳じゃなく中国文化の獅子や鞠などの要素も取り入れて、それを見れば当時の職人達は違う文化を巧妙に融合させたのが分かります。壁面にある左右対称の白い花は貝殻で組み合わせた装飾で、それも台湾職人の遊び心と技術の表しですね。」

松濤園跡地

北投温泉の歴史と言えば、温泉旅館「松濤園」のオーナーであり、北投納涼祭の開催にも力を入れて、そして「北投焼の元祖」とも呼ばれた松本亀太郎は大きい存在です。少し想像しにくいかも知れないが、今のMRT新北投駅前のスターバックスとマクドナルドの位置は「松濤園」の跡地です。「松本亀太郎さんは元々台北軍政庁の財務課長だったけど、当時北投に新たな発展性があると思って、元職を辞めて北投で民家を買い、温泉旅館『松濤園』に改築した。今のスタバは昔『松濤園』の浴場『神泉閣』だった場所です。」普段見ても何も思わないありきたりのカフェは、鄭さんのお話で面白みが増えました。

北投公園

北投温泉博物館の近くにある緑豊かな「北投公園」は台湾初の温泉公園。1913年、台北庁庁長の井村大吉が滝湯浴場を「北投公共浴場」(現在の温泉博物館)に改め、その周りのスペースを「北投公園」に整備した。「公共浴場に来た客は温泉に入った後、風呂上がりに公園で散歩もできる配慮ですね。そのあと児童遊楽地もできて、ここは大人も子供も楽しめる公共浴場になったんです。」今の北投公園に二つの噴水があって、それが当時日本の建築技師が西洋建築の手法を台湾建設に活用した証です。「ちなみにジョリン・ツァイさん《許願池的希臘少女(ウィッシングウェルとギリシャ少女)》のPVもここで撮影されましたよ。」鄭さん曰く。

北投温泉博物館

1913年に開業した「北投公共浴場」は当時東亜最大級の温泉浴場で、静岡県伊豆山温泉浴場を原型に建てられました。その和洋折衷の優雅なる姿は「北投温泉博物館」になった今も健在で、静かに北投の細き山道に佇んでます。写真好きの鄭培哲さんはデザイナー目線で発見した、温泉博物館の良い写真が撮れる三つのマジックアワーを紹介してくれました。「一つ目は二階の大広間にいる時、縁側に照らす木々の隙間からすり抜けてきた柔らかい太陽光;二つ目は一階大浴場のステンドグラスから射し込む光が湯船の水面に映った瞬間;最後は空が少し暗くなった閉館後に外から見る、館内の灯りで映り出すステンドグラスの色彩と輪郭です。」

吟松閣

台湾随一の温泉街である北投には数多くの温泉旅館や浴場があり、過去にも「瀧乃湯」、「星乃湯」そして「吟松閣」の「北投三名湯」がありました。吟松閣は日本の旅館と同じ木造建築で和風の庭もあって、温泉入浴やお食事、宿泊サービスを提供していました。「吟松閣の温泉入浴は宿泊客限定ですよ。」鄭さんが吟松閣を眺めながらこう言った。現在文化財に認定された吟松閣は台北市により修復中ですが、玄関にある木造屋根や庭の石段と石灯籠はちゃんと保留されていて、いつかまた人々の前に姿を見せる日を静かに待っています。

北投不動明王石窟

北投文物館から徒歩5分の「北投不動明王石窟」はあんまり人に知られてない文化財で、隣にある手掘りの小さな滝から綺麗な湧水が流れ落ちて来る。台湾では少し珍しいこの石窟寺は実は地元北投温泉の歴史と深いご縁があります。何故かと言うと、この石窟は北投三名湯の「星乃湯」オーナーの佐野荘太朗が商売繁盛の祈願で建てましたから。「日本統治時代の北投に温泉があることが日本人に知られて、温泉産業に携わりたい人がどんどんこの地集まって来た。人が増えたら、信仰の需要も増えます。それが普済寺、不動明王石窟などの場所ができた理由です。」やはり温泉産業と北投の深い繋がりは切っても切れないものです。


Profile/鄭培哲

崑山科技大学ビジュアルデザイン学科から卒業し、今はフリーランスデザイナー。普段は歴史建築や現代の建物を巡るのが好きで、様々なイラストを通じて台湾の建物を記録。2009年ドイツのレッド・ドット・デザイン賞で受賞し、書籍《紙上明治村:消失的臺灣經典建築》や北投温泉博物館が主催の「北投家紋」プロジェクトのイラスト担当。