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北投の空気に漂う月琴の音

「台湾月琴民謡祭」へ行こう

テキスト / 郭慧
画像提供 / 台灣月琴民謠協會

北投で有名な、各旅館を回り演奏しながら歌う「那卡西」は、日本由来の「流し」文化です。北投出身のアーティスト陳明章が音楽を始めたきっかけは、まさに子供の頃に聞いた街の旅館やホテルから流れてくる那卡西の旋律でした。今の陳さんは、月琴の自由な音をもう一度北投の街に響かせたいと、月琴を広める事に取り組み、年に一度開催する「台湾月琴民謡祭」で北投と音楽を繋げていくのです。

「子供の頃は近所のお寺や市場外に、年に300本以上の野外劇が上演してて、そこでよく聞く歌仔戯や北管などの伝統音楽が私に大きな影響を与えてくれた。自分がミュージシャンになってから、伝統と現代の音楽をどう融合させたらいいのか、って常に考えてます。」陳明章曰く。「北投のホテルが多くて、子供の頃は午後北投渓に沿って少し歩いたら、ホテルの中から流れてきた那卡西の音楽が聞こえる。当時防音設備は全く無くてね、那卡西のバンドが演奏する世界各国の音楽が北投の街中に流れていた。それに加えて、小学校の同級生の兄も那卡西のバンドをやってて、中学生になってから、よくその同級生の家に演奏を聞きに行ってた。高校はギター部に入って、私の音楽人生はそこから始めました。」

故郷の北投へ戻り、月琴の音を再び響かせる

陳明章にとって、音楽人生を始めたきっかけは野外劇と那卡西で、そしてその人生の新しい1ページを開いたのは月琴との出会いでした。26歳の時に雲門舞集(クラウド・ゲート舞踊団)のカセットテープで陳達さんの弾き語りを聞き、陳明章の心は月琴に強く魅了され、月琴の修業を決意した。「あの頃月琴を習うには資源が少なくて、私は雲林県の呉天羅さんに南管流月琴、そして宜蘭の荘進才さんに北管流月琴を学び、恆春の朱丁順に恆春調べを教えて頂いた。荘進才先生のもとで北管を習う時は昔ながらの儀式を行い、正式的に弟子入りしましたよ。」陳さんは笑ながらこう語った。

台湾各地で転々としながら修業を経て、陳明章は故郷の北投へ戻りました。様々な音楽が溢れるこの北投の街で、月琴をどんどん広めていくと誓った。「いつか人々が月琴について話す時、『南の恆春、北の北投』がまず頭に思い浮かぶようになると良いですね。」

台湾各地で修業した後、陳明章は故郷の北投へ戻り、この地で月琴の音を再び響かせる。
(画像提供:台灣月琴民謠協會)

台湾各地で修業した後、陳明章は故郷の北投へ戻り、この地で月琴の音を再び響かせる。 (画像提供:台灣月琴民謠協會)

北投温泉博物館で「台湾月琴民謡祭」の幕を開ける

しかし音楽も文化も、普及させるには長期間の努力が必要で、初めの一歩を踏み出す事も簡単なものではなかった。一番最初の頃は学生が少なく、2、3人しかいない時もありました。「当時の若者から見ると、月琴がお年寄りが使う楽器で、ダサいから習う気は無かったでしょうね。」陳明章は笑いながら昔のことを語りました。

それでも諦めない陳明章は月琴の良さを広め続けて、その熱意でより多くの人が月琴に触れるようになりました。2011年、音楽仲間から音楽会の提案があり、満月の日に陳達さんの記念音楽会を開きたい陳明章はこれを機に、その年の中秋節に第一回「台湾月琴民謡祭」を開催した。当時来場したゲストは各流派の巨匠で、恆春調べの朱丁順、客家民謡の徐木珍と王玉川、台湾歌謡の楊秀卿、歌仔戯の廖瓊枝と王金櫻、北管歌仔戯の荘進才、そして車鼓戯の呉天羅一家を音楽会に招きました。陳明章は昔、北投を出て台湾各地を回って修業し、島の多彩な音色を身につけた。そして月日が経ち、今は島の各地から来たアーティストが北投に集結し、北投温泉博物館2階の大広間で月琴の演奏会を開催させました。 

各ジャンルの音楽家を誘うだけではなく、陳明章は「台湾月琴民謡祭」の会場にもこだわりを持ってます。「第一回月琴民謡祭の時から、会場は温泉博物館しか考えられないと思った。全北投で一番月琴に似合う場所と言えば、その畳敷きの大広間しかありません。」

「北投温泉博物館は北投を代表する大切な場所です。」台湾月琴民謡協会の理事長王沛瀅はこう言った。「何年か前に会場を七星公園に変更する声はありましたが、場所を変えたら雰囲気も大きく変わるから、月琴民謡祭は決して温泉博物館から出ることはない、と陳明章先生が仰いました。」

2011年に初めて開催された台湾月琴民謡祭で、月琴の音を伝承してきた先輩たちを記念する。
(画像提供:台灣月琴民謠協會)

2011年に初めて開催された台湾月琴民謡祭で、月琴の音を伝承してきた先輩たちを記念する。 (画像提供:台灣月琴民謠協會)

去年十年目を迎えた月琴民謡祭、まさに「任重くして道遠し」
(画像提供:台灣月琴民謠協會)

去年十年目を迎えた月琴民謡祭、まさに「任重くして道遠し」 (画像提供:台灣月琴民謠協會)

月琴で繋ぐ、音楽と地域の結び

「台湾月琴民謡祭」の開催回数が増えることで、台湾月琴民謡協会も地元の学校と連携し、月琴の認知度を上げることができた。「一回目の民謡祭では、月琴とびわを間違えた人が多かったのをまだ覚えてます。でも最近月琴のレッスンで近所の小学校へ行ったら、ほとんどの子供達がこの楽器の名は月琴だと分かってますね。」王沛瀅曰く。

「月琴はかなり覚えやすい楽器だと思う。ここで2時間ほど練習したら、《望春風》も弾けるようになりますよ。」と、王さんが笑顔をこぼした。「沖縄の若者は三線を使って作曲するように、近年台湾で月琴を使って創作活動する若いアーティストが増えた気がします。例えば旺福(ワンフー)の《莎喲娜拉Sayonara》という曲にも月琴の演奏が入ってます。」

月琴を広めることで、文化産業の再生を目指す

月琴の魅力に惚れた人が増えることで、関連産業にも良い影響が出ました。「弾き手が増えれば月琴の作り手はそれで食べていけますし、月琴作りと関連産業の技術を守ることもできる。棹に台湾の木彫刻を入れたり、台湾の織物でストラップを作ったり、月琴の胴に伝統模様の絵付けしたり、色んな可能性がどんどん増えていくんです。陳明章先生は10数年前から『月琴で台湾の歌を奏でよう』と月琴文化を広めてきたことで、今は音楽自体はもちろん、月琴にまつわる工芸技術もしっかり保存されてます。」 

文化の保存と交流として、八家将の隈取絵師で有名な黄志偉さんに縁起の良い隈取の絵付けをして貰ったり、月琴民謡協会が青森ねぶた祭に参加した時に知り合ったねぶた絵師の五十嵐清勇さんには、月琴の胴に日本のお祭りの情景描いて貰ったり、それらの作品を「台湾月琴民謡祭」の会場に展示しました。こうして絵付けを施された月琴は、自国と異国の文化をより多くの人に伝えるが出来ます。

「台湾月琴民謡祭」は去年で十年目を迎えました。これまでの歩みを振り返って見れば、この十年はまだまだスタート地点から踏み出した第一歩で、「任重くして道遠し」と王沛瀅はしみじみと感じました。これからの「台湾月琴民謡祭」は、昔みたいに街中に硫黄の匂いと那卡西の音楽が漂い、そしてまるで北投の街を包み込むように温泉博物館から月琴の楽音が絶えずに流れる情景を目指しています。

「台湾月琴民謡祭」の開催場所は温泉博物館しか考えられないと、陳明章さんが思う。
(画像提供:台灣月琴民謠協會)

「台湾月琴民謡祭」の開催場所は温泉博物館しか考えられないと、陳明章さんが思う。 (画像提供:台灣月琴民謠協會)

柔らかい光が北投温泉博物館に流れ込み、歴史のある建物と月琴の優しい響きが北投の歴史文化を静かに語る。
(画像提供:台灣月琴民謠協會)

柔らかい光が北投温泉博物館に流れ込み、歴史のある建物と月琴の優しい響きが北投の歴史文化を静かに語る。 (画像提供:台灣月琴民謠協會)

台湾月琴民謡協会は音楽の巨匠達を招き、北投温泉博物館二階の大広間で月琴の演奏会を開く。
(画像提供:台灣月琴民謠協會)

台湾月琴民謡協会は音楽の巨匠達を招き、北投温泉博物館二階の大広間で月琴の演奏会を開く。 (画像提供:台灣月琴民謠協會)