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納涼祭においで、北投の夏の風物詩を体感しよう

北投温泉博物館 館長 鍾兆佳 X 日勝生加賀屋 取締役 徳光重人

テキスト / 郭慧
撮影 / 蔡耀徵
画像提供 / 北投溫泉博物館

今は多くの人は温泉入浴のために冬の北投へ訪れますが、百年前の人々にとって夏の納涼会こそ、北投の一大イベントでした。百年前の納涼会に参加した人は一体何を食べ何をして遊ぶか、そして私たちはどんな形で北投の夏を楽しめればいいのか。北投温泉博物館はこれらの疑問を考えながら、毎年「北投納涼祭」を企画し、地元の仲間達と協力して北投の知られざる歴史と物語を発掘し続けています。


好奇心から調べ始めた百年前の北投の夏

百年前も現代と同じ、北投では納涼祭は夏の行事として行われるのだが、百年前の納涼祭から今までに長い空白の時間がありました。納涼祭が再び北投の地で復活したきっかけは、北投温泉博物館のふと思いつく疑問でした。「歴史の長い北投温泉博物館をめぐる史料を調べると、1913年20世紀東亜最大級の公衆浴場として作られた北投公共浴場が開業、しかしそのタイミングはまさかの夏でした。それが現代人である私達がいつも思う、温泉と言えば寒い冬のお楽しみっていうイメージとは違い過ぎて驚きました。そこから私達は、当時『納涼会』と公共浴場の関係性や、『納涼会』の存在は北投をどう影響したのか、について研究し始めました。」北投温泉博物館の館長鍾兆佳さんは当時の事を思い出しながらこう言いました。

20世紀東亜最大級とも言われる温泉公衆浴場。今は記念文化財に登録され、様々の歴史を記録した建物。(画像提供 :北投溫泉博物館)

20世紀東亜最大級とも言われる温泉公衆浴場。今は記念文化財に登録され、様々の歴史を記録した建物。(画像提供 :北投溫泉博物館)

北投温泉博物館の館長鍾兆佳さんは、地元の歴史を大事に記録し、現代の「北投納涼祭」を作り上げた。

北投温泉博物館の館長鍾兆佳さんは、地元の歴史を大事に記録し、現代の「北投納涼祭」を作り上げた。

歴史を調べるだけなら簡単だったが、いざ実際に「納涼会」を開催しようとしたらそう容易ではありません。それでも歴史の伝承と地域産業を盛り上げることは自分らの使命だと思う北投温泉博物館にとって、納涼祭を開催させることは絶好のチャンスです。「北投の来客数はオンとオフシーズンによってかなりの差があります。温泉博物館は北投の展示施設として、歴史や文化の教育機能はもちろん、地域活性化も大事な役目の一つだと思います。納涼祭を再現することによって夏の北投に新たな見所を作って、より多くの人に北投へ来てもらいたいと思っていました。」

鍾兆佳さん曰く「これを目標に、私達は史料を調べて遠い昔の北投の夏を振り返りました。積み重ねた北投の歴史の伝承も、これからの時代に向ける新たなチャレンジも、北投の地域創生にとっては不可欠な要素です。今や様々な伝統行事やお祭りはありますが、その中ゼロから作り上げたものは少なくありません。ただ私達が思ったのは、原点である昔の歴史を大事にしながら、伝承と革新を並行して前に進む事こそ、納涼祭を通じて達成したい最終目的です。」

北投温泉博物館は官民連携の方式で、夏に開催する「北投納涼祭」を長く続けられるブランドとして運営していく。

北投温泉博物館は官民連携の方式で、夏に開催する「北投納涼祭」を長く続けられるブランドとして運営していく。

官民一体、時代が変わっても持続可能な北投納涼祭を目指す

北投温泉博物館の立場から見て納涼祭の伝承と革新を成功させるには、一番肝心なとこは原点だけでなく、地元の仲間たちの協力も必要不可欠です。「地元の有志やお店の経営者達と手を取り合い、昔の北投の賑やかな光景を再現しようと努力し、その上にさらなる飛躍と革新を追求していきたいです。」

そして鍾兆佳さんは官民連携の重要性も強調しました。「国(公)営施設と民間企業には、それぞれの出来る事出来ない事があり、そしてそれぞれの役割や使命もあります。官民連携により、各自が自分達の専門分野で励げむことで、より良い結果を出せます。文献史料の整理や読解などの仕事は当館が担当し、旅行者の誘致や観光PRは機転が効く民間の方達に任せます。」

地元企業とのコラボ以外に、北投のNPO団体も温泉博物館の大事な仲間です。「納涼祭のイベント屋台では飲食物や遊戯の他に、北投のNPO団体にも出店してもらって、NPOは普段どんな社会貢献活動をしてるのかを、簡単なゲームや紹介で市民達に伝えます。」そんな協力し合いの結果、現代の納涼祭は酷暑の日の涼しみやお祭り気分を味わう催し物だけでなく、北投の文化と地域情報をもっと色んな人に知ってもらう一大イベントになりました。

ここで注目してほしいのは、北投納涼祭の企画段階から温泉博物館は「持続可能性」をずっと大事にしています。実際のイベント期間を見てみると、ほかの地域だと1日で終了する場合が多いのですが、北投納涼祭は約1ヶ月間続いています。「余裕を感じさせる長めのイベント期間で、客足の混雑を分散します。そうすると地元住民の生活品質も保てるし、お店の方も余裕をもって接客が出来ます。」更に鍾兆佳さんはこう語りました。「最近みんなは持続可能性の重要さを認識してくれたので、北投は小さな温泉郷だけど、長い歴史の基盤を持ち、地元の人や企業の支えもあって、そんなパワフルな応援を受けた北投納涼祭は、必ず理想に辿り着けると私は信じでいます。」

温泉博物館は「北投納涼祭」を企画する時は地元の有力企業と連携し、日勝生加賀屋の取締役徳光さんも中の一人。

温泉博物館は「北投納涼祭」を企画する時は地元の有力企業と連携し、日勝生加賀屋の取締役徳光さんも中の一人。

夏の炎天下で集まる理由を作ろう

北投温泉博物館が目指す目標は持続可能性と地域活性化と言うのなら、日勝生加賀屋取締役の徳光重人さんにとって一番大事なことは、どうやって北投納涼祭で体験した楽しい思い出を子供達の記憶に残すことです。

納涼祭について、長年台湾在住の徳光さんは日本にいた頃のことを教えてくれました「日本は毎年の8月中旬に、一週間ほどのお盆休みがあって、故郷を離れて全国各地で働いてる人はこの時期に里帰りしてお墓参り行ったり、故郷の家族や知り合いに会ったりします。場所によって少し違いますが、その時期は全国各地も様々な納涼イベントが開催します。地方の公園で開催するのがほとんど、参加者は浴衣を着て、会場で盆踊りを踊ります。こういう時はいつも小さい頃の同級生に会って食事をしたり、一緒に呑んだりして、そして昔話で花を咲かせたりします。盆休みはまるでみんなが再会する為に作った理由みたいです。」

日本人にとって納涼イベントは、離ればなれになった人達が再会できる最高のひと時。ですが、北投納涼祭にとって一番大事なことは、日本の文化をそのままコピーしちゃいけないと、徳光さんは強調しました。日本大好きな人なら、日本文化が体験したい時日本に行けば充分堪能できますから。

北投納涼祭は日本の複製品じゃなく、この土地の歴史を基ついて作り上げて、現地の人と旅人と共に盛り上げる北投ならではの納涼イベントです。前の納涼祭で加賀屋は水風船やパチンコ、紙相撲などを屋台に出し、楽しい思い出を多くの人に贈りました。「イベントを企画する時はいつも子供の視点を大事にしています。小さい時の体験は記憶に深く残るので、子供達の一生の宝物になれるような、北投納涼祭での楽しい思い出を作ってあげたいと思います。」

百年前の納涼会の夜空に咲いた煌びやかな花火は、当時北投温泉街に訪れた旅人の忘れられない思い出になったように、今の新しい北投もきっと、地元の住民と訪ねてきた旅人、そして子供達にとって記憶に残るような最高の納涼祭を作り出すでしょう。

長年台湾に住んでいる日勝生加賀屋の徳光さんは、北投納涼祭の原型は日本文化だったが、地元の要素を大事にして、北投だけのイベントを目指すべきと仰った。

長年台湾に住んでいる日勝生加賀屋の徳光さんは、北投納涼祭の原型は日本文化だったが、地元の要素を大事にして、北投だけのイベントを目指すべきと仰った。